めぐる色
ダイナマイトすぎる。もはやアトミック。
今回追加されたpSRめぐるのステージ衣装マジでいいっすね。めぐるのカードの中で一番好きかもしれない、やばい。
めぐるのいい所は容姿だけではない、分かりきったことではあるんですが……この胸!この脚!この笑顔!いやでも目を奪われてしまいますね。これは。
個人的にめぐるはシャニマスのアイドルの中で一番ウインクが似合う子だと思ってます。
異邦の
容姿の話はこの辺でおしまいにして本題に…と言いたいところですが、本題も容姿の話です。
今回のpSRは容姿の話を避けては語れない、そういう内容だったから仕方がない。
めぐると言えばまず最初に目を引くのが金色の髪、それから青い目ですよね。
これらの特徴は我々からすると魅力というか、めぐるの持つ素敵な部分の一つなワケですが…当の本人はどう思っているかとなると、その限りではないようで…
少なくとも過去にはそう感じることがあったのではないか?と思わせる描写が何ヶ所か、今回のイベコミュにはあったように思います。
めぐるはどんな仕事にも真摯に取り組む子ですが、どうやら今回の仕事には特別、思うことがあるようでした。
演じる予定だったのは「大正時代に日本にやってきた、大人しくて、喋るのが苦手な青い目の女の子」
「めぐるとはちょっと違うタイプだよな」
というプロデューサーの言葉に対してめぐるが返したのは そうだ、とも、そんなことはない、とも違う、曖昧な反応でした。
これはあくまで僕の経験則というかイメージなんですが、
「きみって、こうだよね?」と言われた人が「…やっぱりそう思う?」と返事をする時っていうのは
「多分あなたは私のことをそういう風に理解しているだろう、でも実際は少し違うんだ」
と言いたい時だと思うんですよね……。いや、めぐるがそう思っているのかはわからないですけど…。
この時のめぐるは演じる予定だった役の女の子に何か思うところがあって、それはまるで自分自身に…「今」の自分でないのなら、たとえば「過去」の自分に向けられたもののようにも見えました。
もしかすると、かつてのめぐるは内向的で、人と話すのが得意ではない子だったのかも知れませんね。
そんなかつての自分と、役の女の子を重ねていたのでしょうか。
異色の
アクアリウムショップで1匹だけ他とは違う色をした魚のいる水槽を見つけためぐる。
一際目を引く、異色。
なんだか少しめぐるに似ていますね。
めぐるは母親がアメリカ人、父親が日本人のハーフで、小学三年生の時に日本へ引っ越してきました。
ファーストガイドブックなどには「帰国子女」とあるので、それ以前にも日本に住んでいたことはある(でも出身地はアメリカなんですよね。アメリカ→日本→アメリカ→日本ということか…?)っぽいし、当時から日本語は普通に話せたのかもしれませんね。
まぁもし言葉の壁はなかったとしても、それでも慣れない環境、今までとは違う環境に人は少なからず戸惑いを感じるものですし…小学三年生、9歳の子には相当な負担だったのではないでしょうか。
他の子達の、自分とは違う目の色、髪の色。
自分が周りから浮いてることくらい、子供でも分かりますよね。
もしかすると、幼少期のめぐるにとっては自分の目の色と髪の色はコンプレックスだったのかも知れません。
自分も他の子と同じ髪の色だったら……
過去にはそう思うこともあったのではないでしょうか。
Forgive color
だけど今のめぐるにはそういった様子は見られませんよね。
どこかのタイミングで自分の髪色、目の色を好きに……少なくともコンプレックスだとは感じなくても良くなったのでしょうか。
アクアリウムショップから帰るときにめぐるが熱帯魚にかけた言葉は、かつてそんなタイミングをくれた誰かの言葉なのかも知れませんね。
おわり
ここまで色々とめぐるの過去について考察してきましたが、実際にはコミュの中でめぐるの過去に対する言及は一度もありませんでした。ぶっちゃけただの妄想です。
ただ、過去のめぐるが自分の髪や目の色をどう思っていたかは分かりませんが
「今」のめぐるには自分の髪の色、目の色のことをすきでいて欲しいし、そうであったらいいなと、
そう強く思います。
僕はめぐるの髪の色、瞳の色が大好きですし
自分の好きな子が自分と同じものを好きでいてくれたら嬉しいですしね。
ですよね?
今更だけど黛冬優子の話
黛 冬優子がシャニマスに実装されて1週間が経ちましたね…。
当日のTLはそれはもう大騒ぎでした。
日付変更と同時に冬優子が配布されて、そこからすぐにプロデュースを開始しても終わる頃には夜中の1時頃の筈なのに皆めっちゃ冬優子についてツイートしてる。
そのくらい黛冬優子というアイドルはまぁ強烈なアイドルだったわけです、刺さる人にはとことん刺さるような、そういうキャラクターだと思います。
かくいう僕もその一人で、プロデュースを終えてから暫くの間は自然と冬優子のことを考えることが増えていきました。
頭の中に空白が生まれた時になんとなく冬優子のことがそこに収まってくるような、そんな感じ。
そうやって冬優子のことを考えている内に、僕が改めて気付いたこと(人によっては今更かよ、という反応だったり、まるで的外れに感じるようなことかも知れません)や感じたこと(共感してもらえるかは分かりません)をここにまとめておきたいと思います。
黛冬優子の第一印象
うさんくさ。
絶対こいつ裏があるだろ…というのはまぁ実装される前から何となく感じていました。でも同時に「実は清楚キャラは演技でした!」というだけでは終わらないだろうという期待もしていました、アイドルマスターシャイニーカラーズですしね……。
剥がれる化けの皮
雑誌の撮影でカメラマンに「君の笑顔は本物じゃない、作り物だ。」と言われた後のプロデューサーとのやり取りにて。
初見時は特に驚きもなく、まぁそうなるよなという反応でした。
だけどプロデュースを一通り終えた後で、少し分からなくなりました。
なんで冬優子はこのタイミングでブチ切れてしまったんだろう?
別に何か酷い罵詈雑言を浴びせられたとか、嫌がらせをされたとかじゃないし、ああ言われても「カメラマンさんのご期待に添えなかったみたいです…なにがいけなかったのかなぁ…」と猫をかぶり続けることも出来たはずなのに。
いやまぁ、ネタバラシにはこのタイミングしかないといえばそれはそうなんですけど…
なんとなく、ここを掘り下げることで冬優子について少しでも深く知ることが出来るんじゃないかと思ったんですよね。
冬優子とふゆ
なにがきっかけでそうなったのか、生まれつきそうだったのかは分かりませんが…もともと黛 冬優子という人間は他人から認められたい、すごいと思われたいという想いを強く持っている人間で、
だけど他人にそう思わせるだけの力(特別秀でた才能や魅力)を持っていない子だったんじゃないかと思うんですよね。
勿論、冬優子は負けず嫌いですし、努力家なのでそれを克服するための努力は惜しまなかったと思います。
朝コミュ15とかからもそういう部分は見て取れますしね。
まぁでも努力が100%結果に結びつくような人もいれば残念ながらそうじゃない人もいるわけで…そして恐らく、というかほぼ間違いなく冬優子は後者だと僕は思います。
自分だってキラキラしたいのに、それができない。
実りもしない努力をいつまでも続けられるような人間はそういませんから、冬優子はやがて努力することを、なりたい自分になることを諦めて、だけど肥大し過ぎた自己顕示欲の方は消えてくれなくて……その結果生まれたのが手っ取り早く周りに好かれるため、ちやほやされるために控えめで清楚な優等生を演じる、プロデューサーと出会うまでの黛 冬優子の人物像「ふゆ」なんじゃないかと。
だけどそれは本来の冬優子が理想とする姿とは相反するものです。
本当は自分自身が輝きたいと思っているのに、演じているのは「自分は一歩引いた位置から他人を立てて、献身的に周りに尽くす」清楚キャラ。
この時の言葉はその矛盾に対する疑問というか、冬優子からの救難信号にも思えます。
本当になりたいものはこんなものじゃない、なのに誰に言われるでもなく自分の意思でそれを演じてる、自分は一体何をやってるんだろう?このままでいいのかな?
そんなジレンマと焦りを心のどこかで感じながら、「ふゆ」を演じて過ごしていたのはないでしょうか。
そして「ふゆ」が周りにウケて、好かれて、ちやほやされればされるほど、「ふゆ」ではない本来の自分は魅力的ではないという思い込みを強めていったのではないでしょうか?
自分は変われない?
そんな冬優子にある転機が訪れます。
街中でプロデューサーに声をかけられて、アイドルにならないかと言われて…今度こそ自分もキラキラできるんじゃないか、なりたい自分になれるんじゃないかという期待が冬優子の中に生まれました。
そうして始まった冬優子のアイドル活動は、最初は順調に見えました。
だけど、あのカメラマンに「君の笑顔は作り物だ」と言われたことで冬優子は「自分は何も変わっていないんじゃないか?」と思ってしまったのではないでしょうか。
今度こそなりたい自分になれると思って始めたアイドルなのに、やってることと言えば結局今までと同じ。
ニコニコ笑って、上辺だけ綺麗に取り繕って……挙句の果てに、仕事で一緒になっただけの初対面の人間にそれを見破られて。
冬優子は何よりもそんな自分自身が許せなくて、信じられなくて…それと同時に、自分を変えてくれると思ったアイドルという存在にひどく失望してしまったのではないでしょうか。
これが冬優子が猫を被り続けることができなかった一番の理由だと僕は思います。
なりたい自分と演じる自分との矛盾を抱え続けることに耐えきれなくなったのだと。
本当は
そして冬優子はアイドル活動から…これまでと同じように、挫折したことから逃げ出してしまいました。
だけど今回は、彼女は一度逃げ出した筈の場所へ自分の意思で帰ってくることができました。
アイドルになって、冬優子は確かに変われたのだと思います。
というよりも、自分の本当の望みに気付いたのかも知れません。
冬優子はずっと他人からすごいと思われたい、評価されたいと思って過ごしてきたと言っていました。
勿論それも本心だと思います。
だけどそれ以上に…本当は、自分に自信が欲しかったのではないでしょうか。
他人からの評価を欲したのは、そうされることで自分に自信が持てると思ったから。
だけど結局他人から評価されるだけでは満たされなくて、冬優子自身が自分を認めてあげることが必要でした。
他人に評価されることよりも、自分自身の成長や努力が実を結びつつあることを実感できることが嬉しかった、と冬優子は言いました。
アイドルとして仕事を頑張ることで、自分に自信が持てるようになるのだと
これが私なんだ
胸を張ってそう言えるような、そんな自分になるために…冬優子は再びアイドルになる覚悟を決めたのだと思います。
アバターという翼
アイドル活動を再開した冬優子に再びあの時のカメラマンと仕事をする機会が訪れました。
今度の冬優子の「笑顔」はカメラマンからも好感触を得られ、「なるほど…それが本当の笑顔なんだな」と言われます。
だけど、その言葉に対する冬優子の返答はその言葉をそっくりそのまま肯定するものではありませんでした。
「これ “も” ふゆのほんとの笑顔です♪」
再びアイドルになると決めたあの時、本当の自分を覆い隠す、息苦しい被り物だった「ふゆ」はアイドル黛 冬優子の武器に、紛れもない本当の自分の一部に、もう一人の分身であるアバターになったのではないかと思います。
冬優子とふゆ、どちらも本当の自分で、アイドルとしてキラキラするためにしていること全部が私なんだと胸を張って言えるようになったのではないでしょうか。
迷いのなくなった冬優子は本当にかっこよくて、キラキラしていて、沢山のものを背負っていて…そしてこれからより沢山のキラキラを掴むために手を伸ばし続けます。
視界に映る輝き全部、一つだって取り零さないように。
皆を笑顔にして、自分も堂々と胸を張っていられるような、誰よりもキラキラしたアイドルになる。
そんな欲張りを叶えるために走り続けます。
そうやって走り続ける冬優子を一番近くで見ていられたら、彼女がスターダムに駆け上がるのを、少しでも手助けできるのなら……
これほどプロデューサー冥利に尽きることはないと思います。
これからも冬優子をプロデュースできることが、僕は楽しみで仕方ありません。
この記事を読んだ人が一人でも黛冬優子に興味を持ってくれたら…彼女をプロデュースすることの楽しさを知るきっかけにしてくれれば良いなと思います。